落語ワークショップ(3/6回)「時は金なり~時間、お金、そして人間の欲を考える」
落語をビジネスに活かそうと思って、いろいろと検討。
ちょうど良いタイミングで、落語のワークショップがあることを発見&申し込み!
(↑クリックすると、ワークショップの詳細が分かります)
さて、全6回の講座の第3回目は、
荻野アンナ先生が病気のため、急遽、金原亭馬生師匠のみの講座となりました。
ということで、当初は
第3回「表現の余裕を味わう~無駄を楽しむ」
だったのですが、師匠一人で進行するという都合もあったようで、
第5回の内容「時は金なり~時間、お金、そして人間の欲を考える」
に変更となりました。
師匠は講義で3時間、そのあと、懇親会で2時間、お話してくれました。
師匠は非常に博学で、現在も学ぶ姿勢を持ち続けています。
また、一生懸命がんばっている我々受講生に対しては、落語の実演の結果ではなく、プロセスについて的確なアドバイスをしていただけます。
今回は荻野アンナ先生はお休みでしたが、荻野先生も同じスタイルです。
(ビジネス社会では、「学ぶ」という姿勢で日々取り組んでいる方が年配になるにつれてほとんどいなくなるので、やはり、ビジネス以外に視野を広げるのは必要かもしれません。)
この講座の同級生にも私より年配の方が多くいますが、いくつになっても学ぶ心を忘れない
姿はとても共感持てて、憧れでもあります。
そういう方々に出会う機会を得て、この講座はとても貴重だと思いました。
さて、講義の内容です。
■時について
江戸時代は時間を音で知らせていました。
1st:「時太鼓」をならす。しかし、それでは徐々に聞こえないところが出てきた。
↓
2nd:「時の鐘」をならす。
・松尾芭蕉の「花の雲鐘は上野か浅草か」にあるように、二カ所で複数でならしていた。
・まず最初に「捨て鐘」を3回ならし、そのあと一拍。そうして、時の数だけならす。
→「捨て鐘」の3つは、現在のNHKや時報で、0分を告げる時の「プップップ」(ポーンの前の音)はその名残のよう。
・時間の考え方について
下のように「9の時」から現在の2時間ごとに減っていく。
ただし、実際は減っているのではなく、2を掛けた数になっている。(その数だけ鐘を鳴らすのは大変すぎるので、下一桁だけにした)
現在の0時 → 子の刻:9つ
現在の2時 → 丑の刻:8つ(本当は9×2=>18の時)
現在の4時 → 寅の刻:7つ(本当は9×3=>27の時)
現在の6時 → 卯の刻:6つ(本当は9×4=>36の時)
現在の8時 → 辰の刻:5つ(本当は9×5=>45の時)
現在の10時 → 巳の刻:4つ(本当は9×6=>54の時)
現在の12時 → 午の刻:9つ
現在の14時 → 未の刻:8つ ※オヤツ(お八)はここから来ている
現在の16時 → 申の刻:7つ
現在の18時 → 酉の刻:6つ ※日入・日没での時間で、いわばサマータイム制
現在の20時 → 戌の刻:5つ
現在の22時 → 亥の刻:4つ
具体的には、「丑の刻」は「1時~3時の2時間」。それを30分刻みで、次のように表す。
1時00分~1時30分:丑1つとき
1時30分~2時00分:丑2つとき
2時00分~2時30分:丑3つとき
2時30分~3時00分:丑4つとき
江戸の時代の1日はこういう感じ。
1)起きて朝(1食)食べて身支度(現在の6時 → 卯の刻:6つ)
2)仕事開始(現在の8時 → 辰の刻:5つ)
3)昼(中食)を食べる(現在の12時 → 午の刻:9つ)
4)おやつ(現在の14時 → 未の刻:8つ)
5)仕事あがり(現在の16時 → 申の刻:7つ)
6)夜なべ仕事[現在の残業](現在の18時 → 酉の刻:6つ)
・通夜は本来は「夜通(し)」という意味
・江戸の平均寿命は50歳ぐらい
なので、40歳で隠居のことを考える。松尾芭蕉は40歳で自分のことを「翁」といっている。
大厄が男42歳、女33歳なので、それを過ぎて生きていればラッキーという感じ。
■お金について
・日本は中国のお金をまねた(大和朝廷時代)
・お金は次の3種類
「金」:武士用
「銀」:商人用
「銅」:庶民用
・商人は関西がほとんどで、「質両替商」という免許を持つ。相場で変動するので、この免許を持っている商人だけが両替できた。
・江戸は「1金=4銀」だったが、世界では「1金=16銀」であったため、金は世界に流れてしまった。逆に、それぐらい当時の日本には金があったともいえる。
・「切り餅」ある程度のまとまったお金を紙で包み、そう呼んだ。幕府は財政難で、切り餅の金の量を減らしたこともあり、それがばれないように、開封を禁じた。
■時とお金について
・江戸時代は時もお金も1/4という考え方が主流。
・時もお金も人間が作ったもの。便利になるように作ったのに、現代はそれに振り回されている。
・一方で、「人間が本来持っているもの」が(特に日本は)失われている。
■江戸について
・江(みずべ)の戸(場所)ともいわれ、特に商人はそこに来るのを嫌がった。それでも家康は来てほしいと頼み、とりあえず、江戸に「支店」を開き、10ヶ月単身赴任し、2ヶ月は戻った。
→江戸の男女比は3:7で男性が多くなった。
・結婚時に、「三行半(みくだりはん)」を男性から女性に渡してくルールがあった。
・武士の座り方
→江戸まではあぐらだったが、江戸からは正座となった。ちなみに、中国はずっとイス文化。
■扇子について
・数少ない日本で考えたもの
・生物の急所は喉仏。
→猿人時代は喉仏が頭の方に入って守っていた。その一方で、情報の発信が弱かった。
→ホモサピエンスは、喉仏を外に出ており、情報を豊富に発信できるようになった。
弱い猿人が森の外に出させたのがホモサピエンス。急所をさらしているので、一番弱いが、生きるために、次の2つを行い、結果、生き残った。
1)知恵を使う
2)協力する
この2つは我々人類の原点であるにもかかわらず、今の日本は弱くなってきた。
→動物は群れで子どもを育てるが、人間は社会で育てる。これも今の日本は弱くなってきた。
■小咄実演
・本番で台詞を飛ばしてしまい、始めから戻ってしまいましたが、「本番で飛ばしたら後ろで入れるテクニック」を直々に教えていただきました。
・頭の中で情景を描きながら話す必要性を、実演して教えていただきました。
・扇子を普段のように仰ぐと、客がうっとおしくなるので、ゆっくり大きくは仰がない。女性と男性で仰ぎ方は異なる。扇子の束ねている部分(=かなめ)は必ず隠すこと。
→薄い細い木に議事録を書いており、それが大量にあったので、紙をはって出来たのが扇子。
・金原亭馬生師匠が扇子を腰に差していたが、帯の下からちょっと出し、扇子の羽を上に出し、板を下方向に向けて差していた。